伝統を誇りに新しい時代へ自慢の畳を伝えます。協同組合東京畳工事同志会

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畳に関する豆知識

畳の歴史

縄文時代 竪穴住居にワラ敷きの跡。
弥生時代 ワラをコモ・ムシロ・ツカナミなどに加工。
古墳時代・飛鳥時代 高床式住居では敷物、ムシロ・シトネの使用。
奈良時代 「古事記」中に菅畳、皮畳、絁畳の記述。
(飛鳥・奈良)畳の専門技術者の生成。
畳に厚みが加えられ調度品としての置畳が用いられる。
奈良時代には、大陸との交通がさかんになって仏教の伝来とともに、住居にもこの影響が現れ、法隆寺の伝法堂は当時の住宅様式の貴重な遺物となっている。
一方、従来の高床住居も次第に発達し、貴族の住宅として用いられた。
その多くは間仕切りのない広い板床で日常は屏風や几帳などで適当に区切って生活した。
京都御所の紫宸殿などはこの様式の代表的なもので、平安時代の寝殿造りへの移行を示している。
寝殿造りは1町(約120m)四方の屋敷内に、寝殿を中心として東・西・北の三方に渡り廊下で接続した対屋(たいや)を配し、南に池を設けたもので、主人とその家族の住居に当てられ、従者や雇い人の住居はこれに付属して作られた。
その床面には、貴族階級にあっては畳、庶民階級にあってはムシロ・コモが一般的だったと見られている。
平安時代 (奈良・平安)工匠としての畳技術者が出現。
帳台構えとしての寝所と厚畳が用いられる。
身分によって畳の大きさ・厚さ・畳縁の色柄を定める。
寝殿造り普及、貴族は畳、庶民はムシロ・コモが一般的。
日本人の《生活の知恵》と言われる〝畳〟が生まれたのは今から1,300年ほど前。
奈良時代の「古事記」に八重畳や菅畳などの敷物がしばしば登場しているが、今日でいう厚みのある畳が生まれたのは平安時代。
王朝貴族が贅を尽くして設えた、豊かさの調度具であった。
平安時代の建造物は、風通しの良い寝殿造り。壁がなく、床は板張り仕上げ。そこに畳を置き、 もてなしの場や催しの場を自在に作り、歌合・聞香・立花などを愉しみ、つきあいともてなしの 華やかな王朝社会を繰りひろげたものである。
源氏物語絵巻には、ゆったりした衣服で自由にくつろぐ姿が見られ、畳が座具・寝具を兼ね備えた 快適なものであったことが伺われる。
また、身分によって畳の大きさ・厚さ・畳縁の色柄も定められていた。
鎌倉時代 武家屋敷では寝所に畳が敷き込まれるようになった。
畳から布団が分化する。
鎌倉時代に入って武家の勢力がさかんになると、外敵に備えて塀や濠をめぐらした武家屋敷が生まれた。
床面はその多くが板敷きのままであるが、寝所には畳が用いられた。
室町時代 村田珠光が書院台子の式事を定めて珠光真の四畳半茶室形式を始める。
書院造り普及。
小さい部屋割りが行われ畳の敷詰めがほぼ定着したものと見られる。
室町時代になると幕府を京都に置いたため、武家住居のほかに、平安時代の貴族や禅僧の様式が主人の居間に施されて床・棚・書院を設けるようになり、 初めて畳が用いられて、いわゆる書院造りが生まれた。
代表的な書院作りには二条城二の丸殿舎・醍醐寺三宝院書院などがある。
この書院造りの発祥は、日本の住宅構造の基本的パターンとなり、そこから、畳を敷き詰める(座敷化)、茶室の誕生、商家・農村への進展、などのプロセスがみられたことは注目される。
戦国時代 畳業の安定的成長期に入る。
安土桃山時代 大阪・畳屋町の出現。
城郭の造営などの流行により、畳屋町が形成されるに至る。
千利休による草の四畳半茶室。
江戸時代 茶道の隆盛による畳の特殊化。
畳割り建物登場(1650年 今西家)。
数寄屋造りの派生により畳割による建築のモジュールとしての畳が重視される。
江戸・大阪で畳表の仲間組合で交流が盛んになる。
問屋制支配が進む。
親方と職人と言う階層分化が進む。
親方が原料・道具類・衣食住までを貸与する職人制度が主に需要の減退によって確立していく。
また、①畳屋 ②畳刺し ③手間取り ④職人 ⑤出居家 ⑥弟子 の六階層の身分制が成立。
各藩の特産物に表床が登場する。
仲間組合の設立。
江戸時代になると、書院造りは一般町屋まで普及し近代和風住宅の形式が確立した。
また書院造りと 茶室ふうを融合した数寄屋造りの住宅がうまれ、その代表的なものとして、桂離宮・修学院離宮などがあげられる。
畳が一般庶民のものとなったのは、江戸時代中期以降のことであり、農村においては明治時代になってからである。
明治時代 文明開化に伴ない家具調度の洋化で畳の上に椅子が持ち込まれたりした。
中流以下では書院造り風の座敷拡大傾向が現れた。
明治の一般民衆の家として床の間つき6畳間 8畳間が一般化した。
畳床をつくる製畳機が一部実用化された。
大正時代 大正期には住宅需要の増大が畳をより大衆化した。
昭和時代 文化住宅化、和洋折衷住宅への定着。
畳を縫い上げる縫着機が開発された
公団住宅の出現。団地族の言葉が流行し、各地にニュータウンが誕生し、3DKなどの呼び方が始まる。
48年をピークに住宅建設ラッシュに。
大戦後のアメリカナイズと住宅建設の増大との間で大衆化から次第に洋風化へと推移しつつある。
畳の需要の高まりから畳縫着機が本格的に使われるようになり、機械縫いが一般的となる。
中高層マンション時代。
超高層住宅の出現。